OLYMPUS  OM−1MD  OMシステムの完成

機械式シャッタ−、基本中の基本
発売は昭和47年7月(1972年)、大阪万博から2年後である。オリンパスの話となると、あの天才設計者米谷美久という人を抜きにしては語れない。ちょうど今から一年前、OMシステムの製造中止が発表された。このとき各雑誌に米谷氏のコメントが載っていたが、非常に残念ながらという言葉があったのを思い出す。
メ−カ−というものは企業であり、常に利益追求のために動いていくとすれば、デジカメが主流になった今、売れないものを残しておく事はできないということもよくわかる。オリンパスはAF部門で失敗しているかわりにデジタル部門への移行も早く、デジカメでは現在トップメ−カ−となっており、各カメラメ−カ−がそれを追うという形となっているが、これもいつ追い抜かれるかという状況である。
こんな時代に売れないOMシステムを残しておけるはずがないというのは素人考えでもわかる。
かく言う僕も、オリンパス一眼レフは新品で買ったものは一台もなく、すべて中古である事を考えれば、すこしもオリンパスの会社には貢献していない事になる。

さて、このOM−1、小型一眼の元祖である。当時の一眼レフの欠点、大きい、うるさい、重いという三大悪を改良するために作られたというコンセプトを持つ。発売時はM−1だったが、ライカからクレ−ムが付いたのでOM−1となったというのは有名な話で、少数ながら初期段階でM−1という名称で約5千台が発売された。これがコレクタ−の間ではかなりの高値で取り引きされている。
歴史的には4バ−ジョンある。まずM−1、そしてOM−1、次がモ−ドラ対応のOM−1MD、そしてストロボ関係のマイナ−チェンジ、OM−1Nである。
使い勝手は非常によく、モ−ドラをつけてもそれほど大型にならず、レンズシステムも揃っていて、まさに小型一眼レフの基本中の基本というカメラである。

みのかんOM−1MD
このカメラはフリ−マ−ケットで手に入れた。OM−1をみつけてすぐに手にとり、ひっくり返して底をみると、なんとモ−ドラ対応となっている。価格は12000円とある。はやる気持ちを抑えながら、操作部のチェックに移る。操作性には問題はまったくなかったが、プリズムに小さな銀浮きがあった。ただファインダ−を覗いた状態ではまったく気にならない程度なので購入する事にした。手持ちの金は15000円しかなかったが、即座に購入した。
その日は家族で出かけていたので、どこかでお昼を食べる予定だったが、結局ラ−メンとなってしまった。その原因がOM−1であったなどとはもちろん家族には内緒である。

以降、すでに持っていたOM−2NとこのOM−1は、メイン機材となった。OM−1にモノクロ、OM−2Nにカラ−ネガをつめて、レンズは28mm、35mm、50mm、135mmの昔の定番撮影スタイルである。これにタムロンのズ−ムと500mmのレフレックスを加えれば最強のシステムが完成するわけである。


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